Thirteenth floor

私がボードゲームの論文を書く理由

2021年5月22日0:50, 13階について

概要

筆者がボードゲームの論文を書き始めた理由を、そろそろどこかに残しておきたいと思い、この記事を記載しております。
これからボードゲームの論文を書いてみたいと思う人がいれば参考になるかもしれません。
もしくはこれを読むことでボードゲームの論文を書いてみたいと思うようになるかもしれません。

そんな奇特な人がいるとは思えませんが、ボードゲームの論文というジャンルが広がったらいいなあと思っています。

書き始めたきっかけ

ボードゲームを考察してみようみたいな気持ちは全くありませんでした。初めて執筆した論文であるDOMEMOの論文はサークルメンバーの奇妙な行動がきっかけだったように記憶しています。

DOMEMOの最中に、ある人は突然小さい(低い)数字から大きい(高い)数字を宣言し始めました。またある人は、盤面を見ていないとしか思えないように乱雑な宣言を行いました。

以上のような奇妙な行動が私の頭には残っていました。 そのような行動は、おそらくDOMEMOに対する飽きから来ていたのだと思います。 論文を書く直前まで、何度も何度もDOMEMOで遊んでいたため、私たちはある程度直感的にゲームの進め方を理解できるようになっていました。飽きてくれば、当然ですが何らかの刺激が欲しくなります。それが奇妙な行動となって表出してきたのでしょう。

筆者はDOMEMOに飽きてはおらず、むしろもっとDOMEMOをやっていたいと思っていました。 そこで何かDOMEMOで出来ることはないかと仕事中に考えていたところ、思いついたのがPythonによるシミュレーションでした。

そのころの仕事は退屈だったのですが、逆に言えばあの退屈さのおかげで論文が生まれたのだとも言えます。

Pythonによるシミュレーションは簡単に行えました。 1週間から2週間、仕事終わりにプログラムを書くだけです。 どのような結果になるかは私も想像できませんでした。 結果は想像以上のモノでした。

グラフ化してみるとはっきりとした特徴が読み取れるのです。 私は大きな宝物を発見したのだと喜びました。 そこから論文を書きだしたのは自然な流れだったと思います。 大学時代から実験結果をまとめて文章を書くという習慣が付いていましたし、仕事は退屈でした。 何もやることがないのであれば、どのようなことでも出来ます。

このようにして論文の草稿が出来上がったのです。

論文の公表

自身が執筆した論文を公表する必要は全くありませんでした。 極端なことを言ってしまえば、誰にも見せず、ただ自分だけのために書いても良かったのです。 筆者の楽しみは論文を書いた時点で終わります。 書くまでが執筆者としての仕事で、その後書き下ろされた論文がどうなろうと知ったことではないのです。
論文の草稿を書き終えた筆者が考えていたことは、どの場でこの論文を公表するかではなく、どこまでこの研究を進めるべきかでした。

筆者は草稿をPDFにしてサークルのグループチャットに貼りつけました。 グループチャットの反応は冷淡なものです。 もちろん、誰かからの反応を期待して論文を貼りつけたわけではありません。 それは習慣でした。 どうでもいい文書、どうでもいい案など思いついたものを筆者はグループチャットへ貼りつけていたのです。

例えば週刊少年ジャンプの感想や今までに見て面白かったアニメのことです。

DOMEMOの論文に対する反応は今までと少し違っていました。

どういう風に違っていたのかはうまく言語化出来ません。 ただ、あまりにも論文すぎるという評価を貰いました。 これは硬すぎる、もう少し挿絵やキャラクターを入れないと、例えゲームマーケットなどで公表しても誰も読まないと。

ゲームマーケットによる公表という案に筆者は食いつきました。 初めはそんなイベントがあった、程度の認識でした。 このような会話をしたのは雨の多い5月から6月にかけてで、家に帰って調べてみるとゲームマーケットの出展申し込みはまだ行われていました。

申し込むかどうか、悩まなかったといえば嘘になります。 ただこの頃の筆者は挑戦に失敗はないというスティーブン・スティールの言葉を信じていました。

日曜日の枠に申し込み、筆者は初めての出展権を得たのです。

論文の作成

ゲームマーケットに出る権利を得た後、筆者は論文を完成させるべく実験、考察、執筆を繰り返しました。 作成したシミュレーターはそれほど多くのコンピューターリソースを必要とはしませんでした。 使っていた5年前のコンピューターでも1回実験するために5秒もかかりません。

論文の作成を実験(シミュレーター作成も含む)、考察、執筆に分けた場合、最も時間がかかるのは考察です。 最も面白い時間も考察です。 この時間を楽しめない人間にボードゲームの論文は書けません。

極端な話、シミュレーターは考察を手助けしているにすぎません。執筆は考察した内容をただ鋭く研ぐだけにすぎません。

どれだけシミュレーターの性能を向上させても、考察に必要な時間は減りません。 考える力は何らかの道具で補助できますが、劇的に減少することはないでしょう。

もし考察の時間を減らしたいという衝動に駆られる場合は、次のように思うべきです。

だったらボードゲームの論文を書くことなんて、やめてしまえ!

ボードゲームの細かいルールを再現するシミュレーター等作る必要はありません。 構成を整えた論文に仕立てる必要もないです。

それでも考察だけは真摯に取り組みましょう。

これは自戒の念を込めています。

ですが、安心してください。 考察楽しいです。 筆者が4冊もボードゲームの論文を書き上げるくらいには楽しいです。

原稿が出来たら印刷所で製本してもらいます。 ここは個人の好みですが、製本はきちんとプロに頼むべきです。 達成感が違います。 自分の論文が1冊の本、それもきちんとした本になっている姿を見ると、次の論文を書く大きな原動力になります。 自分が今までしてきたことが報われた、そんな思いがこみ上げてきます。

ゲームマーケット

自身が執筆した論文を公表する必要は全く無い という考えは、執筆時点の今も変わっておりません。

ですが、ゲームマーケットでの公表は2冊目に当たるボードゲーム論文である宝石の煌きの論文を書くためには重要でした。
2019年秋のゲームマーケットでDOMEMOの論文を公表した際に驚いたのは、ボードゲームの論文というマイナーなジャンルの本を、好意的に受け取ってくださった方々が多くいたという事実です。

筆者が言うのもおかしな話ですが、読んでくれる方がいる等思っていませんでした。

それだけではありません。

購入いただいた方々のうち、Twitterで感想を述べてくださった方もいました。
例えDOMEMOの論文が売れなくても、次の論文を書くことは決まっておりました。すでにシミュレーターの作成を始めていたからです。

それでも、ゲームマーケットでの体験は論文を執筆する大きな原動力になりました。
読んでくれる人がいるという事実だけで、十分だということにも気が付きました。

続けること

どのようなことでもそうですが、たった1度だけならば誰でも出来ます。

これを続けることは誰にでも出来ることではありません。

ボードゲームの論文についても同じことが言えます。

  • DOMEMOの論文を書いて終わるのではなく、別のボードゲームを題材にした論文を書く。
  • あるいは、DOMEMOの論文で書ききれていないDOMEMOに関する部分を研究して追記する。

つたなくても、不出来でも良いので続けること、書き続けること、研究し続けること、公表し続けること、これらが大切なことだと考えます。

続けることは面倒くさいことです。 止めたくなる時が来ます。 どうしてこんなことをやっているんだろうと思うときもあるでしょう。

実際に筆者はありました。

もしその時に止めてしまったら、それまでです。 悪いことではありません。 ただ、確信を持って言えることは続けてよかったと自分が将来思えるということです。 誰もやったことがないDOMEMOの論文を書き、宝石の煌きの論文を書き、UNOの論文を書いてよかったとそう思えるのです。

ハンターハンターで主人公の父親が大切なものは、欲しいものよりも先にやって来るというようなことを息子に言っていたのを思い出します。 筆者が欲しかったものは論文でした。 続けることが大切だという考えがそれよりも先にやって来たのです。

終わりに

初めて論文を書き始めてから、およそ2年、ゲームマーケット参加回数で言えば4回になります。
こうして振り返ってみればあっという間でした。
そしてこのサークルが辿る道はまだまだ長く続いています。 5年、10年と長い目でこのサークルの活動を考えているので、本サークルに興味があれば、ぜひどこかで関われると嬉しいです😀

論文を読んでいただくとか、ゲームマーケットで声をかけていただくとか、些細なことでも大歓迎です!

コメント

2021年12月31日10:50 13階
修正履歴

- 続けること大切だという考えがそれよりも先にやって来たのです。
+ 続けることが大切だという考えがそれよりも先にやって来たのです。

★△▼□●○●○■▽▲✰

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