Thirteenth floor

主体的にボードゲームをしてほしい

2020年8月3日20:39, ボードゲーム

主体的とは一体何だろう

よくよく考えてみると、私は結構主体的に行動しろ、とか、主体的に考えろって言われることが多かった気がします。特に中学生の頃などは教師からよく言われていました。

「授業中に積極的に手をあげないんですよね。当てれば答えてくれるんですが」とか「言われれば素直にやるのに、自分からやろうとしないんだよね」とかそういうことを言われていました。

ここで言う主体的というのは自分から行動しなければならない自分の頭で考えなければならないという、どこか強制されているような印象を受けますよね。

当時の私もそうで、そんな印象を受けるから反発して、結局主体的には行動しなくなったわけです。

ただ、強制って主体的という言葉と正反対なんじゃないか、と最近は思うのです。

私の考える主体的とは自らの意思を引き金にして、自分がしたい、やりたい、やらなければならないことをすることです。

で、どうして主体的にボードゲームをやってほしいのか

絶対にそっちほうのが面白いからです。

私はボードゲームにおいては面白さ至上主義です。涼宮ハルヒの「そっちのほうが面白いじゃないの」という言葉が大好きで、とにかく面白ければそれでいいと思っています。

そんな私が面白くないと思う瞬間は、自分や相手が主体的にボードゲームをやっていないときです。

ボードゲームは近年ではまれに見るようなコミュニケーションを活発に行う遊びです。それも子供だけでなく大人もやる遊びです。多種多様です。

そのため、苦手なジャンルやあまり気がすすまないジャンルのボードゲームに出会うことが多々あります。私は人狼や相手を倒さなければならないゲーム、だんだん脱落していくゲームが苦手です。

こういうゲームに出会うと、自らの意思は「苦手だな」、「嫌だな」という感情に押されてしまい、主体的にボードゲームを行えなくなります。特に昔はよくなっていました。

そうなるとボードゲームがつまらなくなってしまいます。主体的にやっていないからです。無理やりやらされているわけではないにせよ、教室で受け身の授業を受けている感覚に近いです。

で、こうなると、一緒にボードゲームをしている人たちもつまらなくなってきます。思い返せば、中学校の教師があんなにも退屈そうに授業をしていたのは、私のような生徒がつまらなさそうに授業を受けていたからかもしれません。

主体的ではない人を見ると、ボードゲームを主体的にやっている人にとっても、これから主体的になろうとしている人にとっても、良くない影響を与えるのです。

一番損をするのはもちろん主体的ではない自分です。なぜならば主体的になるだけで面白くなる瞬間なのに、それを逃しているからです。

だとして、どう主体的になるのさ

これだけは絶対に達成してやろう、という目標を1つでいいので持ってみませんか。そうすれば自然と主体的になります。

私は人狼をやるときは、徹底的に喋ろうと思ってやります。普段そんなにしゃべらないのに。

相手を倒さなければならないゲームであれば、後先考えずに勝ちにこだわろうと思ってやります。普段は結構先のことまで考えますが、相手を倒さなければならないゲームは考えれば考えるほどに戦いたくなくなってしまうので、とにかく今勝つことを優先します。

だんだん脱落していくゲームは最初に脱落しないようにがんばります。

こんなふうに目標を持つと、その目標のためにああしなきゃこうしなきゃと考え始め、主体的になり、苦手なボードゲームが楽しくなってきます。

それにボードゲームをするということは中々仲良しな集まりだと思うので、多少私がふざけたところで大丈夫なのです。きっとそれはどこでも同じです。

まとめると

主体的にやったほうがあなたもみんなも面白いです!

そっちのほうが良いと私は思っているのです。

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